オリジナリティについて
50 年代に Blue Note 等のレーベルを中心に大活躍したジャズドラマー、ART TAYLORが自らインタビュアーとなり、MILES DAVIS を筆頭に Sonny Rollins, Dizzy Gillespie, Thelonious Monk, Art Blakey, Philly Joe Jones 等々、同世代の超大物ミュージシャンばかりにインタビューしている、"Notes and Tones - Musician to Musician Interviews / Arthur Taylor" と言う本があります。和訳はされておらず、日本では(多分アメリカでも)あまり知られていない本です。しかし、黒人同士、ミュージシャン同士、の会話の中に、これが本音なのかなと思える部分も多くあり、お勧めの一冊です。
その中で Miles Davis が、最近(1968年当時)のミュージシャンについて、「レコードのコピーをしている奴らばかり。あいつらにはオリジナリティーが一切無い、人と違うことをやってる奴なんて一人もない」と述べた後に、次の様に言っています。
その中で Miles Davis が、最近(1968年当時)のミュージシャンについて、「レコードのコピーをしている奴らばかり。あいつらにはオリジナリティーが一切無い、人と違うことをやってる奴なんて一人もない」と述べた後に、次の様に言っています。
「もし俺が一からやり直すのなら、ジャズのレコードなんか殆ど聴かない、だって皆同じことをやってるだけだから。」
「本当にオリジナルの奴ら (Guys like Ahmad Jamal, Duke Ellington, Sonny Rollins, and Coltrane) だけ聴くよ」
う〜ん、、、さすがマイルス。
こ れは、1940年代にプロとして活動を開始した頃からこの世を去るまで、常に人とは違う「なにか」を追求し続け、それを実現してきたマイルスだからこそ言 えることなんでしょうね。ただ、10代の頃とか、楽器を始めた頃というのは、誰にでも真似をしたくなる憧れの人がいます。 マイルスもディジー・ガレスピーとか、チャーリー・パーカーの様なスタイルで演奏していた時期はあります。しかし、マイルスはその段階をアッという間に卒 業して、以後は常に時代を先取りして突き進んで行きます。そして、ついにはジャズという枠では収まらないような存在になりました。
話が それますが、私 ががこの話を最初に読んだとき、一番驚いたのは、マイルスがアーマッド・ジャマールの名を真っ先に挙げていたことです。しかもエリントンやコルトレーンと ならべて。マイルスは最初の自分のバンドを組んだ当時、アーマッド・ジャマールの音楽性に惚れ込んでいました。当然バンドへ誘ったのですが断られてしま い、代わりにレッド・ガーランドをピアニストに迎 えたそうです。この話はわりと有名で、私も聞いたことがありました。改めてこのインタビューを読んだ時に、マイルスが如何にアーマッド・ジャマールに惚れ 込んでいたのかを知り、とても驚きま した。思わずこの直後に、アーマッド・ジャマールのCDを買いに行ったことは言うまでもありません笑
で は話を一気にドラムに戻します。実際に人と演奏(特に人のバン ドで)するときは、当然のように色々なスタイルが叩けることを要求されます。アメリカの音楽シーンというのは、アメリカという国の有り様と同じで、常に新 し い「なにか」を取り入れて進化しています。古くは1940年代にディジー・ガレスピー等が、ジャズとキューバの音楽を融合させてアフロキューバンジャズを 作り出 しました。そして、それは瞬く間に、ジャズの基本的なエッセンスの一つになりました。同じ様に、60年代にはブラジルの音楽、ボサノバがジャズに強い影響 を与えました。更 にその後も、ロック、ファンク、原点回帰とも言えるニューオリンズビート、ラテンの新しい流れであったソンゴ、2000年頃に大流行した変拍子、そして最 近の Hip-Hop や R&B、Drum ‘N’ Bass、等々、、、新しいスタイルやアイデアがひっきりなしに出て来ます。そしてそれらが既存のものと影響を与え合い、更にそこから新しいものが生まれ てき ます。そういうシーンの激しい動きに少しでもついて行くためには、音楽をたくさん聴くしかありません。
話は少し変わりますが、アメ リカで ライブ等で上手い人の演奏を見た後、「さっきのどうやってやるの?」と聞くと、必ず "Check XXX Out"(XXXを聴け)と言われました。要するにCDを聴いて、あとは自分で考えろ、ということです。 まず聴いて、練習して、そして自分のものにして行く、というわけですね。これは楽器を上達させるためにはとても重要なステップです。
しか し、おそらく、上記の様なサイクルに身を置いているだけでは、結局人の物真似、若しくは情報依存症に依る没個性的な演奏しかできなくなってしまうのでは? とマイルスの言葉を読んで思いました。
私 の場合はジャズに傾倒したのが20歳を超えてからでした。最初の頃は右も左も分からず、がむしゃらに、気ばかり焦っていた記憶があります。楽器はうまくな りたいし、音楽のアイデアも理解して使いこなせる様になりたい。でも、天才でもない自分の中から出てくるアイデアなんて限られています。だから他の人の演 奏やテク ニックを参考にします。そのためにはCD聴いたり、ライブ見たりするし・・ というサイクルにどっぷり浸かっていました。あの当時はそうする以外は考えら れませんでした。
しかし、30代、40代と年齢とともにキャリアも長くなるにつれ、マイルスの言葉の重要性が痛切に理解できる様になって きました。このインタビューの1968年当時、マイルスは42歳。ちょうど今の私と同い年です。マイルスと自分を比べるのは、いくらなんでもおこがましく て気が引けます。しかし、演奏するにせよ、教えるにせよ、たった一人の自分として生まれてきた以上、なにか自分にしか出来ないことを探していきたいな、と 考えるきっかけをマイルスの言 葉は与えてくれます。
こ れは、1940年代にプロとして活動を開始した頃からこの世を去るまで、常に人とは違う「なにか」を追求し続け、それを実現してきたマイルスだからこそ言 えることなんでしょうね。ただ、10代の頃とか、楽器を始めた頃というのは、誰にでも真似をしたくなる憧れの人がいます。 マイルスもディジー・ガレスピーとか、チャーリー・パーカーの様なスタイルで演奏していた時期はあります。しかし、マイルスはその段階をアッという間に卒 業して、以後は常に時代を先取りして突き進んで行きます。そして、ついにはジャズという枠では収まらないような存在になりました。
話が それますが、私 ががこの話を最初に読んだとき、一番驚いたのは、マイルスがアーマッド・ジャマールの名を真っ先に挙げていたことです。しかもエリントンやコルトレーンと ならべて。マイルスは最初の自分のバンドを組んだ当時、アーマッド・ジャマールの音楽性に惚れ込んでいました。当然バンドへ誘ったのですが断られてしま い、代わりにレッド・ガーランドをピアニストに迎 えたそうです。この話はわりと有名で、私も聞いたことがありました。改めてこのインタビューを読んだ時に、マイルスが如何にアーマッド・ジャマールに惚れ 込んでいたのかを知り、とても驚きま した。思わずこの直後に、アーマッド・ジャマールのCDを買いに行ったことは言うまでもありません笑
で は話を一気にドラムに戻します。実際に人と演奏(特に人のバン ドで)するときは、当然のように色々なスタイルが叩けることを要求されます。アメリカの音楽シーンというのは、アメリカという国の有り様と同じで、常に新 し い「なにか」を取り入れて進化しています。古くは1940年代にディジー・ガレスピー等が、ジャズとキューバの音楽を融合させてアフロキューバンジャズを 作り出 しました。そして、それは瞬く間に、ジャズの基本的なエッセンスの一つになりました。同じ様に、60年代にはブラジルの音楽、ボサノバがジャズに強い影響 を与えました。更 にその後も、ロック、ファンク、原点回帰とも言えるニューオリンズビート、ラテンの新しい流れであったソンゴ、2000年頃に大流行した変拍子、そして最 近の Hip-Hop や R&B、Drum ‘N’ Bass、等々、、、新しいスタイルやアイデアがひっきりなしに出て来ます。そしてそれらが既存のものと影響を与え合い、更にそこから新しいものが生まれ てき ます。そういうシーンの激しい動きに少しでもついて行くためには、音楽をたくさん聴くしかありません。
話は少し変わりますが、アメ リカで ライブ等で上手い人の演奏を見た後、「さっきのどうやってやるの?」と聞くと、必ず "Check XXX Out"(XXXを聴け)と言われました。要するにCDを聴いて、あとは自分で考えろ、ということです。 まず聴いて、練習して、そして自分のものにして行く、というわけですね。これは楽器を上達させるためにはとても重要なステップです。
しか し、おそらく、上記の様なサイクルに身を置いているだけでは、結局人の物真似、若しくは情報依存症に依る没個性的な演奏しかできなくなってしまうのでは? とマイルスの言葉を読んで思いました。
私 の場合はジャズに傾倒したのが20歳を超えてからでした。最初の頃は右も左も分からず、がむしゃらに、気ばかり焦っていた記憶があります。楽器はうまくな りたいし、音楽のアイデアも理解して使いこなせる様になりたい。でも、天才でもない自分の中から出てくるアイデアなんて限られています。だから他の人の演 奏やテク ニックを参考にします。そのためにはCD聴いたり、ライブ見たりするし・・ というサイクルにどっぷり浸かっていました。あの当時はそうする以外は考えら れませんでした。
しかし、30代、40代と年齢とともにキャリアも長くなるにつれ、マイルスの言葉の重要性が痛切に理解できる様になって きました。このインタビューの1968年当時、マイルスは42歳。ちょうど今の私と同い年です。マイルスと自分を比べるのは、いくらなんでもおこがましく て気が引けます。しかし、演奏するにせよ、教えるにせよ、たった一人の自分として生まれてきた以上、なにか自分にしか出来ないことを探していきたいな、と 考えるきっかけをマイルスの言 葉は与えてくれます。